カウンターの空論
バーテンダーにとって勉強は当然の義務です。
酒のこと、時事のこと、場合によっては化学や物理といった専門的なことまで。
あらゆる分野にアンテナを伸ばし、貪欲に情報収集して知識を身につける。
大変結構なことなのです、が、しかし。
活字に騙され、データに踊らされ、現実とは異なる理論を鵜呑みにしてはいないでしょうか?
もしも、これをそのままお客様に広めていては、他意は無くとも結果的には嘘を吹聴していることに他なりません。
またはその嘘を根拠に「だからこれが美味いのだ」と押し売りをしていないでしょうか?
理論的な正解が必ずしも現実の結果と一致するとは限らない。
例を挙げて説明してみましょう。
「丸氷は溶けにくい?」
オン・ザ・ロックス(オーバー・ジ・アイス)の注文に、アイスピックなりナイフで形成した「丸氷」を使用する店は、
今では珍しくありません。
これをめぐるやり取りで、しばしば聞かれる会話、
客「どうして丸い氷を使うの?」
バーテンダー「丸い氷の方が溶けにくいので水っぽくなりにくく、長く美味しく飲んでいただけるからです。」
おそらく根拠は、同じ体積の氷でも立方体と球体では、表面積の小さな、つまり液体なり大気に触れる面積の小さい丸い氷の方が溶けにくい、
とする「文字」に起因しているのだと思います。
加えて、氷は角から溶ける、だから角の無い丸氷は溶けにくい、というイメージでしょうか。
まずは論より証拠、実験してみましょう。
「検証」
同じ体積、つまり同じ重さの四角氷と丸氷で検証してみます。
もちろんBarでお客様に使用する前提で、当然のように気にするべきグラスとのフィット感・見栄えのバランスも考慮して形成したつもりですが、
こればかりは個人のセンスもありますので、そこはご了承ください。
条件は以下の通り。
室温24度・湿度50%。
氷はいわゆる氷屋さんの氷を形成して、設定マイナス20度の冷凍庫内でさらに一日寝かせた物。
共に重さは115g。
グラスは同型・常温、HOYAのオールド・ファッションド・グラス(ロックグラス)を使用。
通常の「オン・ザ・ロックス」の処方通り、グラスに氷を投入し、上からウイスキー・スーパーニッカ(43度)を30ml注ぎ、
10回ステアして20分放置する。
これを同時に行い検証。
結果、四角い氷は16ml溶け、丸氷は20ml溶けました。
念のため氷自体も計測します。
別グラスに移し変えていますが、全く同じ重さのもので、もちろんこの数値はグラスの重量を引いたものです。
どうやら両方とも各5mlずつ、グラスの方に水滴レベルで酒が残っていたようですが、数字的に矛盾はありません。
その融解量の差は4mlですので「あまり変わらない」と言ってもいいのですが、
厳密に言えば四角は21ml、丸は25ml溶け出したということなので、
結論として「丸氷のほうが溶けやすい」というのが事実です。
私は以前にも同様の検証をしていますが、結果は概ね同じでした。
なぜこのような結果になったのでしょうか?
先に持ち出した、「丸氷は溶けにくい理論」の根拠が、あくまでも一般論に過ぎないからです。
この理論の条件は氷単体をそのまま放置した状態で空気にさらした場合、
あるいは液体内に投入するにしても氷全体が液体に浸かる状態、水の中に放り込んだような状態での話だからです。
言わずもがな、気体よりも液体の方が融解能力が高いため、
Barでグラスに合わせた氷を用いて、その一部だけが酒、それも30〜60ml程度という少量の液体と触れるような特殊な状況下においては、
全体の表面積の大きさよりも、実際の液体との接触面の大きさの方が重要なのです。
グラスの内径いっぱいいっぱいに合わせて四角い氷と丸い氷を作れば、どうやっても丸い氷の方がしっかり液体に触れる形になります。
実験後の氷の形状を見比べてみると、より実感しやすいでしょうか?
今回は途中で氷を動かさなかったのでこのような形になりましたが、写真でも確認できるように、
丸い氷の方が液体に触れる面積が大きいことが見て取れます。
丸氷を使用した際の特徴として、同量の酒を注いでも四角のそれよりも酒の量が多く見えるのは皆さんもご承知のとおり。
と言うことはつまり、それだけ丸氷は液体に接触している面積が多く、結果溶けるのが速くなるということですから、
実際にお客様に提供する形であっても結果は変わらないということです。
また、冷凍庫で冷やしておいた、例えばスピリッツ類などを用いた場合でも、丸氷を使用する理由の根拠として、
あえて溶けにくいからという説明が必要なほどの結果は得られません。
丸氷は溶けにくいと言い続けていた方にはむしろ逆にお聞きしたいのですが、
なぜこれまでそう説明していたのでしょうか?
実際に自分で確かめてみたことはありますか?
正直、それらしい理論を添えたほうがプロっぽいから、という安易な発想でお客様に適当を言っていた、というのが本当のところではないですか?
「とにかく自分で確かめましょう」
今回は丸氷で話を進めましたが、この手の罠は随所に転がっています。
例えば飲料に関する適温。
適温と言えば「本場ではこの温度だから」とか「この酒はこの温度が一番美味いんだ」なんて会話もよく聞かれますが、
一般的に人が最も飲み物を美味しく感じるのは、だいたい体温の±25〜35℃と言われているものの、
これはあくまでも人間という生物が舌と鼻という味覚・嗅覚器官の機能を最も発揮できる数値のことです。
だからこの範囲で飲食物を提供すれば美味しいのだ、とは一概には言えません。
そもそもこの数値は生体的な理論に基づくものであって、地域性や人種、ましてや個体差など無視しています。
美味しいという感覚の話ではなく、分析能力に関する最適条件のことです。
しかもどちらかと言えば世界基準での話なので、いよいよ日本人には当てはまらないケースが多々あります。
日本人が美味しいと感じる熱々の飲料や食べ物の多くは、欧米の、中でもとりわけフランスの方などは熱すぎて口にできません。
日本人の美味いがフランス人には熱過ぎ、フランス人の美味いが日本人にはぬるいのです。
それだけの感覚の差がある両者が同じ分母に組み込まれた上ではじき出されたのが理論としての適温。
もっと身近で分かりやすい実例を挙げるなら、日本のファミリーレストランのスープバーにあるスープストックの設定温度はおおよそ85℃〜90℃。
老若男女が利用する日本の平均的飲食店で度重なる検証結果を経て実施されているのがこの数値なわけですが、
さも信憑性の高そうな体温±25〜35℃の枠には収まっておらず、先の数値がいかに無意味なものかお分かりいただけるでしょう。
また、同じ日本人でも猫舌に代表される極端に熱に敏感な人や、それでなくとも個人の好みというものがありますので、
いよいよ普遍の絶対基準などあるわけがないのですが、あらためて考えてみれば私達はバーテンダーなのです。
せっかく個々のオーダーに合わせたカスタマイズも可能というバーテンダーなる職にあって、
誰が決めたかも分からない数字や文章に振り回され、「そうらしいから、こうしよう」では滑稽というもの。
それより何より、まずは自分で探求してみましょう、検証してみましょう。
考えましょう。
バーテンダーは理論の実践のためでなく、目の前のお客様のためにドリンクを作るべきであって、
そのための参考、知識、ヒントを得る手段が勉強です。
勉強しました、知りました、やってみました、スゴイでしょう?では意味がありません。
「誰の」「何の」為に「どう」するかというそもそもの目的を忘れずに、
さらに得た情報を自分で検証し、確認し、確証を持って実践し、初めて知識は生かされ役立ちます。
楽をして右から左へ持ってきた「ネタ」を自己満足のために披露していては、
ましてやそれが「嘘」であっては、バーテンダー失格、と私は思います。
※検証に使用したお酒は後ほどスタッフが美味しくいただきました。