Barの特徴・1
Barの誕生を待たずしても酒を飲む場などいくらでもありました。
今でこそ酒を飲むための店とそうでない店は明確に区分されていますが、
飲食の文字の通り、飲(酒)と食はごく自然に交じり合い、
人々にとって酒というアイテムは今よりずっと密接な関係で共存しつつ、
それはただアルコールとして摂取される一飲料という枠を超えた、
もっと精神的に不可欠な意味合いも含め、当たり前に存在するものだったのです。
これを興する場をして酒場と呼称するならば、その歴史を辿ると紀元前ウン千年まで遡ることになります。
そんな流れの中、その起源を1800年代、19世紀頃などとする、酒場の歴史としてはあまりにも浅く、
ごく最近といっても過言でない、そんなBarが、何ゆえ今日ここまで広まったのか。
再び資料を頼りに検証すると、およそ1800年代後半から1900年代初頭、
アメリカ生まれのBarがヨーロッパへと海を渡って広まったとする記述が目立ちます。
特に1919年から1933年にかけてアメリカで施行された禁酒法を契機として、失業へと追い込まれた多くのバーテンダーが、
職を求め、主にイギリスやフランスへ向かったようです。
いかにカウンターシステムが優秀な設備とは言え、なぜそれまでの常識からして規格外とするスタイルが受け入れられたのか。
前項で先送りにしていたそれらの説明を踏まえつつ、今回は特にヨーロッパにおけるBarの発展の経緯と特徴について考察してみましょう。
「まずは手軽さ」
それにしてもヨーロッパには酒場が無かったのかと言えばもちろんそんなことはありません。
ジンを飲むならジン・パレス、エールはいかが?エールハウス。
皆で語ろうサロンに集い、お茶もありますカフェーはどうだ、今日もいつものパブに寄ろう、と、
各国にそれぞれ酒場は存在していました。
しかも、それらの多くは単に酒だけを扱う飲み屋に止まらず、自慢のつまみから充分な食事まで提供し、
果てはご近所さんや仲間内との交流の場として、
ある種のコミュニティー的な役割までかねた、もはや生活の一部として愛される存在にありました。
ビジネス目線で見ればここに同業異種が割り込むのは非常に困難、よほどに特化した魅力と呼べる特徴が無ければ話になりません。
が、しかし、あったのですね、Barにはそれが。
まずはと言うかやはりというか、何はともあれBar(カウンターシステム)の、その物理的・コスト的手軽さが功を奏します。
極小のスペースにカウンター1つ設置するだけで接客と作業の両立を可能とするBarは、
先にも述べたように早い段階から既存のレストランや酒場内にも造られました。
馴染みのある言葉で表現するなら、一角に設けられた「バーコーナー」といった風でしょうか。
ずいぶんと単純な理由のようで非常に重要な要素であることは否めません。
また、この手軽さはむしろ最初期よりもBarがその存在を確立し認知された後にこそ、その本領が発揮されるのです。
個性を身につけ人気を獲得し需要を増す事さえ実現すれば、後はその手軽さゆえ爆発的に拡大してゆくことも夢ではない、ということですね。
結論から言えばそれは現実のものとなったため、この頃の資料を見るとBar〇〇といった独立店舗として営業する店よりも、
レストラン〇〇のBar(バーテンダー)とか、ホテル〇〇のBar、といった記述のほうが目立つわけです。
既存の飲食店がこぞってBarを導入した様がうかがえます。
「愛飲家の理想」
既存の酒場の多くが言うなれば地域密着型で、取り扱いアイテムとして地の物、伝統的な物を中心としていたのに対し、
新参者のBarはそれそのものが舶来の目新しいスタイルであるのと同様、当時より発展目覚しい流通システムを利用して、
地の物に限らず、他地域の珍しい酒、新しい酒も貪欲なまでに吸収し、主力商品として取り扱います。
見慣れぬ酒瓶の並ぶBar(カウンター)に、これに詳しいバーテンダーが立ち説明をしてくれる。
それじゃぁ飲んでみようかと注文すれば、目の前で処方し提供してくれる。
バーテンダーはそのまま話し相手にもなりつつ、またその会話の流れから次の酒を試してみたり、
あるいは飲み慣れた酒に関しても随分とわがままな処方にも対応してくれる。
自分の飲みたいスタイルを具現化しつつその過程まで見届けられるある種のエンターテイメント性と満足感。
ちょっとカッコよく言えば酒のオーダーメイドを可能とするわけです。
ある意味酒飲みをして非常識どころか理想的な飲酒のスタイルなわけですからこれが敬遠される訳が無い、というわけです。
先延ばしにしていた、当時の常識からして規格外の、
ともすれば作業台ともとれる場での飲食が受け入れられた問題もこれで納得していただけたでしょうか。
「カクテル」
今でこそBarと言えばカクテル、カクテルが飲みたいならばBarと認知されていますが、
初めからBarがカクテルを売っていた、作っていたと考えるより、
先の説明を踏まえれば、Barであったからカクテルを扱うようになった、と表現したほうが正しいでしょう。
事実、カクテルと認識されておらずともミックスドドリンクなる処方はBarの誕生以前より各地に存在していましたが、
その多くは極めて局地的に楽しまれている、言うなればご当地名物のような存在であり特殊な飲み方でしかなかったわけです。
それらをカクテルとカテゴライズして提供できたのは、会話を常とし、プレゼンからオーダーまでを直接こなせ、迅速な調合を可能とし、
そのリアクションを確認したうえに補足説明から次のオーダーまでフォローできるBar(カウンターシステム)であったからこそ可能であった、と解釈できます。
さらにこの時期、蒸留技術の発展や製氷機の普及という時代の加護も受け、
新規加入業種ならではのフットワークの軽さを生かしそれらも積極的に導入しながら、
Bar自らが多くのカクテルを輩出していったことは歴史が証明していますし、
それは決してバーテンダーのみによる創作に限らず、客の考案した、あるいはきっかけとなり誕生したカクテルを、
逆にバーテンダーが教わり広めたとするエピソードは枚挙に暇がありません。
また今ほど情報技術が発達していなかった当時はカクテルに関する情報そのものも、
もちろんそれら情報をまとめたカクテルブック等の製作などバーテンダーの努力もありますが、
くわえて客がBarからBarへと伝達していった功績も大きいのではないかとの想像もできます。
これまでに無かった全く新しい酒の飲み方・楽しみ方というこの上なく強大な戦力をBarが手に入れたのは事実ですが、
Bar(カウンター)一つ介して酒のプロと愛飲家が集う新しい酒場で、酒の未来を創造した、とまで言うと大袈裟でしょうか。
「スタイリッシュな酒場」
これまでに説明したBarが獲得した特徴とは、言うなれば形あるものばかりですが、
この形があったからこそさらに得ることができた目には見えないもの。
むしろそちらのほうが重要であったかもしれません。
いつもの酒場のいつもの酒という習慣としての飲酒が常とされていた中、Bar(カウンター)という酒と正面から対峙するに相応しい空間で、
初めて見る酒、初めて知る飲み方を、バーテンダー相手に楽しめる最先端の酒場。
前者を日常と称するなら後者はまさに非日常的な娯楽であり、
一部で銘酒というアイテムの価格的問題もあったにせよ、
必然的に飲む酒から嗜む酒へとその行為自体を昇華することに成功し、イメージとしてワンランク上の酒場という地位を獲得していきます。
またBar(カウンター)の特徴たる横一列に着席し(あるいは立って)時間を過ごすスタイルは、
ともすれば閉鎖的で輪に入りにくい感もある既存の酒場に比べ、一人でも、あるいは初めてでも利用しやすく、
さらにそこにはバーテンダーなる存在があることを約束されているため、
話し相手に困った際でも、一人ゆったり過ごしたい時でもお好み次第で利用できる選択肢を得た強みと、
必然的に団体利用のできない構造上、逆に落ち着いた雰囲気の演出にも一役かって、
ある種の品格さえもイメージさせることに成功します。
もちろん紆余曲折を経ても玉石混淆の中で全てがそう同じ着地点にたどり着いたわけではありませんが、
日本からして特にこの時代のBarの特徴とは、
上品な紳士淑女が落ち着いた雰囲気の中、粋な会話と銘酒を嗜む洒落た空間であると認知されるに至ったのです。
近年においてもたかが飲酒行為をもってして「Bar文化」などと称しても決して大袈裟とされない要因は、
やはりこの時代のイメージが大きく作用しているためと私は考えます。
あらためて、抑えておきたいのは、Barの歴史は非常に浅く、その誕生は実に斬新であったということです。
今日、利用者はおろかバーテンダーまで、その事実を酒や酒場、あるいはカクテルの歴史と混同している風潮がありますが、
これまで記してきたとおり、それは既存の酒場の歴史からすれば決して長い時間とは言いがたいものです。
だからこそ獲得した特徴により、従来の酒場に無かった新しいスタンスを確立できたわけですが、
冒頭の説明通り、この流れはヨーロッパを主としたBarの経緯です。
そもそもアメリカで生まれたBarですが、祖国では祖国での発展、経緯がありますし、
後に綴ります日本における影響と説明の際、非常に重要となりますので、このヨーロッパの流れにより誕生したBarのスタイルを、
以降「ヨーロピアンバー」と呼ばせていただきます。
さて、次はそのアメリカにおける流れ、「アメリカンバー」についてご説明いたしましょう。