Barの特徴・2



アメリカのBarの歴史、否、酒の歴史を語る上で避けては通れないのが「禁酒法」です。

詳細については私が語るより専門的な資料を参考にしていただいたほうが正確な情報を得ることが出来るでしょうから割愛させて頂くとして、

さて、この禁酒法。

すでに過去のこととお考えの方も多いようですが、私的には今現在もその規模と制約は縮小されたものの進行形にして絶賛施行中であると思っています。

なにしろ広大な土地を有する巨大国家であるためそう一概には言い切れませんが、

基本的にアメリカでは酒の購入の際にIDの提示が義務付けられており、夜間の購入はNGなうえ、休息日である日曜日には昼まで販売禁止。

日常的、あるいはモラル的にも昼間や屋外における飲酒行為は避けたほうが無難とされています。

花見で一杯とか、キャンプで乾杯も日本のようにはいきません。

それでもまだ、酒にありつける土地の人はマシなほう。

行政区分として州の下に郡(カウンティー)という単位を有し、各地方ごとに法を制定。

酒の販売や提供に関しては独自にして大変厳しい決まりを設けているところも珍しくありません。

それも実に細かくてややこしい。

例としてアメリカを代表する酒「バーボン」発祥の地とされるバーボン郡を有するケンタッキー州で言えば、

およそ100ある郡のうち、実に50を越える地域でアルコールの販売・提供を全面禁止としています。

酒の無い乾いた土地、通称ドライカウンティー。

これに対してウェット(潤っている)と呼ばれるアルコール販売可能な地域が30程度。

しかもこれまた複雑で、限定的に市街地のみ許可されているモイスト(湿ってる)なる地域が10数箇所あったり、

さらにはリミテッド(限定された)と呼ばれる、飲料を除いた食事のみの売上げが70%以上を占めるレストランに限りアルコール飲料の提供が可能な地域などもあり、

さらに細かく、日本で言う市町村レベルの取り決めも関係し、

と、もう面倒なのでざっくり言いますと、結局ケンタッキー州では全体の実に2/3強で酒類の販売・提供が禁止されており、

肝心のバーボン郡においては酒類の生産はしているものの実質一般人がアルコールを手にすることの叶わない全面禁止区域であるというのが現代の姿です。

地方行政が自立しているため住民投票による法改正も頻繁なので細かな変更も日常ごとではあり、

民主主義らしく民意を反映させた結果ゆえに実行されている望まれた環境なのかもしれませんが、事はそう単純でもないのですね、これが。

それにしても日本人からして「自由」とのイメージの強いアメリカですが、意外なほど酒に関しては大変に厳しいお国柄、というわけです。

宗教問題や政治的策謀まで関係しており、全くもってBarでは語りにくい野暮なお話になってしまうので触れたくもありませんが、

それもこれも事の発端であり契機となったのはやはり禁酒法。

当時、廃業・失業に追い込まれたバーテンダーの多くがヨーロッパへ渡ったのは前項の説明通りですが、

ではアメリカのBarは一時期完全に全滅したのかと言えば然にあらず。

アンダーグラウンドに身を潜め「もぐり酒場」としてたくましくも生きながらえました。

と、一般的には言われていますが、連続性と関連性に関してはここで一旦リセットされたに等しいのかもしれません。

事が事だけにその実態を正確に記した資料はあったにしても信憑性において鵜呑みにできないものが多いですが、

ここで重要なのはあくまでも日本に影響したスタイルと印象、具体性よりもイメージですのでそこに焦点を合わせてみましょう。

人目を避けて営業を続けるBarは、そもそもBar(カウンターシステム)をしてBarと呼ばれる酒場であったはずが、

歴史的にも日が浅く、土着・既存の酒場を持たない国で、酒場を示し、それを意味する言葉として扱われるようになります。

そのあり方にしても、なにしろ存在するだけで物騒な立場をして、ヨーロッパのそれと同様にワンランク上だの上品だのとは参りません。

特にこの時代のカクテルエピソードなどはその背景を象徴しており、いかに酒を酒と悟られぬように加工するかがテーマであったり、

あるいは純正商品の入手が困難な中、粗悪な安酒をなんとか美味しく飲めるようにと工夫と苦労の末に誕生したものなど、

何かにつけて影を感じさせるものが多いのも特徴です。

おのずとそれを飲む光景も想像できますが、そもそもBarとして公に営業なんてマネができない状況下で酒のみに特化した存在がどれほどあったのかも怪しく、

一方ではむしろ逆に、こんな時代だからこそ粋に酒を嗜もうではないかと、

現代からしても中々に洒落た趣の秘密Barといった雰囲気ある空間でゆるり過ごす人々を記録した写真などが残ってはいます。

が、しかし、

他方、大多数のそれは、レストランの奥、隠し扉の向こうなんてのはまだマシで、薬局の地下だの、民家の屋根裏だのといった酒場と言うにはあまりにもな場所で、

それが果たしてBarと呼べるのか、以前に肝心のBar(カウンターシステム)すら無かったのではと容易に推測できます。

現代の日本でもBarに関するイメージのうち、隠れ家的で少々ダークな秘密主義を匂わせる、

業界で言うところの「ハイドアウト」とか「スピークイージー」といった言葉の源流はこの頃に由来し、

体制に反発し集う人々の結束力とアルコールに対する想いをさらに高めた様を感じますが、

実質的に法の施行前を上回る数のBarが水面下で営業していたとする資料をもってしても、

やはりBarにとっては不遇の時代には違いない、と言わざるを得ないでしょう。

やがて禁酒法は廃止されましたが先の説明の通り今なお左党にとっては非常に厳しい現状ですが、

公に営業を再開したBarはすでにそのスタイルを確立しつつあった「ヨーロピアンバー」に比べ、

よく言えば実に自由に、しかしともすれば明確な定義も無いまま、単に「酒が飲めるところ=Bar」として社会に進出していきました。

結果、逆輸入したヨーロッパスタイルの落ち着いた雰囲気の高級感漂うBarから飲めれば良しのラフでカジュアルなBarまで、

厄介なことに明確な境界線も明瞭な区分も許さないほど、その幅は圧倒的に広く、そのジャンルは驚愕に値するほど多岐にわたって、

自由を奪われ抑圧されていた鬱憤を晴らさんばかりの進化と分岐を遂げます。

そんな中でも頭一つ抜けた、アメリカを象徴するBarのスタイルも登場し、近年、日本にも多大なる影響を与えることになりますが、

それはもう少し後で語りましょう。

ここまではとりあえず、Barとは酒の飲めるところ、そのスタイルは千差万別、一言で言えばフリーダム。

それが「アメリカンバー」の特徴として憶えておいてください。


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